[イーナチュラルな人々]
Webディレクター、問わず語り
最近、馴染みだった飲食店が身の回りで相次いで閉店するという
出来事がありました。閉店の理由として共通しているのが、
なんらかの「年齢」によるものです。
▼ イタリアンA店の場合
今のところで開業して約15年、常連のお客様にも恵まれお店自体は
順調だけど、店主の年齢も残り人生の方が少ないと考えた方が
妥当な年代に差し掛かり、やり残したことがないかと考えるように。
いろいろと悩んだ末に、タイミングとはしては今しか無いと決意し
惜しまれるうちに閉店。
▼ ラーメン屋B店の場合
少ない席数で、自分の目の届く範囲で納得するものを提供したいと
思いつつ店を続けて8年。今後もこの地で営業を続けることを
考えていたところに、店の大家さんが賃貸業から手を引くことに
なり、やむなく閉店することに。
自宅兼貸店舗の大家さん、ご高齢も相まって物件の維持管理が
体力的にしんどくなってきたのと、そもそもそれほどの収入を
必要とする生活でもなかったこともあり、引退を決意とのこと。
ざっくり言うと、前者は心理面の変化、後者は体力面での変化と
それぞれ異なりますが、いずれも年齢を経たことでの変化と
言ってよいと思います。
翻って自分に当てはめて考えてみたら、どうだろう。
体に関しては、ひとまず椅子に座ってマウスとキーボードが
使えればなんとかなりそうな気がします(笑)
前より疲れやすいとか、体力面のエッセンシャルな部分は、
ここは昭和的発想で、鍛えてなんとかするしかないですね。
心理・心境については、もともと好きでこの仕事をしていますし、
何かと新しいものが次々と出てくる業界ではあるので、
仕事を通してフレッシュな体験も出来ていると思います。
が、最近はフレッシュがすぎて眩しすぎると感じることもあり、
特に最近の生成AIの目覚ましい発達を目にすると、
今後どこで自分はパフォーマンスを発揮すべきか、
否が応にも問いかけられている気がします。
こんなことは私がここで改めて文章にしなくても、
この世に生きてきた・生きている多くの人が星の数ほど
繰り返されてきた自問自答でしょうが、
それでも何ならの言葉にしたくなるのは年齢によるものでしょうか。
2025.06.25